2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」初回からとても面白かったですよね。
三谷幸喜作品ながらコメディタッチな描写もあり、歴史が苦手な方でもすんなり難しいことなく視聴できたのではないでしょうか。
大泉洋が演じる源頼朝が姫に変装して馬に乗って逃げる冒頭のシーンから惹きつけられましたよね。
そんな源頼朝ですが、「佐殿(すけどの)」と呼ばれているのが気になりましたよね。
鎌倉といえば源頼朝(よりとも)ですが、なぜそのような名前で呼ばれていたのでしょうか。
今回は源頼朝が「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた理由について深堀していきたいと思います。
源頼朝は13歳で行政組織の役職についていた
1159年(平治元年)12月9日に起こった平治の乱という戦いでは頼朝の父である源義朝に従って源頼朝は平氏と戦ったのです。当時頼朝は13歳だったんです。13歳で父に従え戦争に参加していたって考えられないですよね。
平治の乱で源頼朝は右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)という役職を任ぜられたのです。
任命されたのは平治元年の12月14日で解官されたのは12月28日なのでたった15日間の任官ではありましたが、13歳にして位の高い役職についていたんです。
その時から源頼朝は「佐(すけ)殿」と呼ばれていたのです。
右兵衛佐権佐
— 豆大福 (@ma_daifukuan7c) January 9, 2022
右兵衛府の次官。相当官位は正六位下。799年に従五位上になった。
「佐殿」と呼ばれる場合が多かった。権佐は正規定員外の役目。
平治の乱の際にこの職に任じられた頼朝は、わずか十五日で解官されている。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/oT7sJ2vuDi
どのくらい偉い役職だったのかというと、朝廷の役職のうちのひとつであったので今でいう官僚のようなものだと考えるのが優しいかもしれません。
当時の都の行政組織のなかでの役職であって警護や行幸・行啓の供奉などを担当する役所のことを指します。
行政組織が複雑なのでひとつひとつ説明をするとややこしくなってしまうので、劇中でも表現があるように「格が違う」という印象で捉えておいていいかと思います。
時代背景や当時の状況がわかると大河ドラマをさらに楽しむことができますよね。
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都を離れても元右兵衛権佐という扱い
劇中で北条氏らのところにかくまわれていた際は源頼朝はすでに平清盛に敗れて島流しにあった身であったので「流人」でした。
平清盛に敗れた際に任命されていた右兵衛権佐という役職は解任されているものの、官職についていた元右兵衛権佐という扱いを受けていたのです。
なので流人であったとしても「格が違う」とされ、そのまま「佐殿(すけどの)」と呼ばれていました。
1159年には解任されていた官職ではありますが、劇中の第一話は1175年です。
15日という任命期間そして20年ほどだっていたのにもかかわらず官職についていたことで「佐殿」とよばれ続けていたんですね。
源頼朝は軍事貴族という存在だった
ではなぜ20年ほど流人となっていた頼朝が官職についていた13歳の頃からずっと「佐殿」と呼ばれていたのでしょうか。
それは源頼朝や平氏をふくめてその時代の武士のなかでも「軍事貴族」として雅な存在だったからだと言われています。
劇中でも蹴鞠(しゅうぎく)や双六愛好とする描写がありましたよね。
1【”鎌倉のメッシ?”】”大泉”頼朝「蹴鞠」披露⚽ #鎌倉殿の13人 #大泉洋 #源頼朝 pic.twitter.com/XEfPEQDdre
— わび@さび (@think_literacy) January 9, 2022
「右兵衛権佐」という位は、官位でいえば伊豆の国司よりもはるか上であり、地方武士である北条氏たちとははるかに格が違う存在であったため、流人だとしても雅な人として扱われていたことがわかります。
劇中でも小池栄子さんが演じる北条政子が源頼朝を雅な人として憧れの気持ちから恋心を抱くような描写がありましたよね。
まとめ
源頼朝が「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた理由についてまとめました。
元々は平治の乱の際に行政組織の官職である右兵衛権佐(うひょうごんのすけ)という役職についていたことにさかのぼります。
数日の任命期間であったものの、都で行政組織の官職についていたというのは地方武士にとって格の違う存在であったため、官職を解任されても元右兵衛権佐(うひょうごんのすけ)という存在で「佐殿(すけどの)」と呼ばれ続けていました。