江角悠太の生い立ちや経歴は?志摩市民病院再起の元ヤン医師がすごい

三重県にある志摩市民病院の病院長・江角悠太(えすみゆうた)さん。

「どんな患者さんも絶対に断らない」という方針を掲げ、赤字経営で閉院を余儀なくされていた病院を再建させたことで知られています。

2022年8月25日フジテレビ系列で放送の「奇跡体験アンビリバボー」でも取り上げられていましたね。

当時34歳という若さで病院を再建させた江角悠太さんとはどんな人物なのでしょうか。

若い頃はやんちゃばかりしていた元ヤンだったとも言われています!

そんな江角悠太さんの経歴やプロフィールについて調べてみました。

江角悠太医師のプロフィール?
江角悠太医師は元ヤンだった?

\この記事を読んでわかること/
  • 元ヤン医師・江角悠太の病院再起ついて
  • 江角悠太の経歴やプロフィールについて
目次

志摩市民病院を再起した元ヤン医師江角先生

志摩市民病院は三重県志摩市にある公立の総合病院です。

志摩市民病院の病院長を務める江角悠太さんの病院再起についてや、元ヤンだったエピソードについてご紹介します。

医師・江角先生が志摩市民病院を再起

医師・江角悠太さんは、2014年に志摩市民病院へ赴任しました。

<国民健康保険志摩市民病院>

所在地】三重県志摩市
【開設年月】1952年6月
【病床数】
・地域包括ケア病床29床
・療養病床31床
・一般病床17床
【診療科目】
・外科・整形外科・内科・消化器科・循環器科・皮膚科・リハビリテーション科

当時の志摩市民病院は、多くの赤字を抱えており、閉院するか診療所に規模を縮小するかという状況だったそうです。

このことから江角さん以外の医師や看護師数名が退職し、過疎化もあって患者数も激減するなど志摩市民病院は危機を迎えてしまいます。

当時、医師として7年目の若手だった江角さんは、2016年4月に病院長に就任しました。

そして、次のような方針を掲げて新たな病院作りを始めたのです。

どんな患者さんも絶対に断らない

地域住民とタウンミーティングを行った時は厳しい意見を受けたそうですが、地域には志摩市民病院が必要だと考えたそうです。

<<江角病院長が行った取り組み>>
◎病院まつりを開催
◎研修生・体験学習生を積極的に受入
◎職員達の声を聞く…など

江角さんは、地域住民に「病院」を身近に感じてもらえるようなイベントを開催したり、病院で働く職員の意見を直接聞くなど、病院を立て直す為に奮闘しました。

次第に志摩市民病院を受診する患者が増え、職員のモチベーションも上がっていったそうです。

そして、赤字も1年で1億円ずつ減少し、志摩市民病院の経営はV字回復をしたそうですよ!

現在、志摩市民病院は地域にとってなくてはならない存在になっているそうです(^^)

江角悠太医師は元ヤンだった?

江角悠太さんは「元ヤン医師」と呼ばれていますよね!

学生時代は、授業もまともに受けなかったそうで成績は「最底辺」だったそうです。

友達とケンカをしたりと問題を起こして、親が学校に呼び出されることが度々あり退学寸前だったとか…

江角さんが変わったのは、映画『パッチ・アダムス』を観たことがきっかけだったと言います。

【パッチ・アダムス】
・1998年に公開されたアメリカの映画

・実在する医師がモデルで、無料で医療提供を行う病院を作り、ユーモアで患者たちを癒すという作品

江角さんはこの映画を観て「医師になろう」と思ったそうですよ。

病院長が「元ヤン」だったというのは意外性がありますよね!

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江角悠太の生い立ち経歴プロフィール

医師・江角悠太さんのプロフィールや経歴などをご紹介します。

江角悠太のプロフィール

医師・江角悠太さんのプロフィールはこちらです。

【名前】江角 悠太(えすみ ゆうた)
【生年月日】1982年(40歳?)
【出身地】東京都
【職業】医師
【役職】院長
【家族構成】両親、弟
【趣味】サーフィン

江角さんの生年月日はわかりませんでしたが、病院長に就任したのが2016年で当時34歳だったということなので、現在(2022年)は40歳くらいだと思います。

江角さんの父親(江角浩安さん)も医師で、国立がんセンター東病院の院長を務めた経験がありますが、2022年現在は志摩市民病院で江角さんと父親は一緒に働いているようです。

江角さんは共働きの両親に代わって、7歳下の弟の面倒を見る生活に不満があり、上述にもありますがヤンチャばかりしていました。

そんな江角さんにご両親や祖父母からは「自分の力は世の中の為に使いなさい」と言われて育ったそうです。

そして、江角さんが18歳になった時、医師として生涯持ち続けたいという目標を見つけたそうです。

「全ての人を幸せにする」

それから江角さんは、この目標を基に挑戦と失敗を繰り返しながら現在も走り続けていると言います。

江角悠太の経歴

江角悠太さんの経歴はこちらです。

<2000年> 
・東京都都立西高等学校 卒業

<2009年>
・三重大学医学部 卒業
・沖縄徳洲会 中部徳洲会病院 初期研修
・離島研修(宮古島、徳之島)

<2011年>
・三重大学家庭医療学総合診療科 後期研修
・亀山市立医療センター 内科
・ 三重大学医学部付属病院救命救急センター
・名張市立病院 内科
・県立一志病院 家庭医学科

<2014年> 
・PEACE BOAT(Ocean Dream号)客船医

<2014年>
・国民健康保険 志摩市民病院 内科

<2016年>
国民健康保険 志摩市民病院 院長

志摩市民病院公式HPより

三重大学医学部を卒業後、沖縄徳洲会中部徳洲会病院で研修を受けています。

ここでは「絶対に助けを求めてくる患者を断らない」という精神があったそうで、志摩市民病院の「どんな患者も絶対に断らない」という方針の原点になっているようですね。

その後、離島研修や内科、救命救急、客船医など様々な環境で医師としての経験を積まれています。

江角さんが志摩市民病院に来た理由を「慢性期.com」のインタビュー記事でこのように語っていました。

志摩を選んだのは、大学時代を過ごした三重県に強い愛着があったことが理由です。
当初から、5年、10年で解決できる問題ではないと思っていたため、2014年に志摩市民病院に来たときには、
ここに腰を落ち着けて一生かけて解決策を探そうと決意していました。

引用元:「慢性期.com」より

江角さんのこのような想いがあったから、経営危機で傾いていた志摩市民病院が復活し、地域からも愛される病院に変化することができたのかもしれませんね(^^

まとめ

元ヤン医師・江角悠太の志摩市民病院の再起やプロフィール、経歴についてまとめました。

江角悠太さんは2016年に志摩市民病院の院長に就任しました。

当時、赤字経営だった志摩市民病院を「どんな患者も絶対に断らない」という方針を掲げ、地域住民や病院で働く職員との交流などを行って病院を再起させました。

そんな江角さんですが、若い頃はヤンチャばかりしていた元ヤンだったそうです。

親が学校に呼び出されるなど退学寸前だったという意外な一面もありました。

江角さんの力で生まれ変わった志摩市民病院は、今後はどのように変化するのか見守りたいですよね!

最後までご覧くださってありがとうございました。

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