ちむどんどん|なぜ椰子の実を選曲?青柳史彦は柳田國男がモデルなのか考察

2022年春の朝ドラは「ちむどんどん」沖縄と沖縄と深いつながりのある神奈川県横浜の鶴見が舞台の朝ドラであり沖縄本土返還50周年を記念に作成されたドラマということで話題になっていますね。

歌子と賢三が三線で「椰子の実」を歌ったシーンが印象的でした。

この記事では以下のような疑問にお答えしています。

なぜ沖縄民謡ではなく椰子の実を選曲したの?
椰子の実をセレクトした理由はあるの?

\この記事を読んでわかること/
  • ちむどんどん賢三と歌子が椰子の実を演奏した理由
  • 椰子の実という楽曲と沖縄の関係性
目次

椰子の実という曲はどんな歌?作詞は島崎藤村

賢三と歌子が三線で演奏しながら歌っていたのは椰子の実という歌です。

1936年に発表された日本の歌で作詞は島崎藤村、作曲は大中寅二が手掛けています。

名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ」という歌詞からはじまりますが作詞をしたのはあの島崎藤村なんですね。

学校で歴史を勉強されていたときに出てきた人物で聞いたことある!と思われた方も多いはずです。

ちむどんどんは沖縄が舞台のお話なので、沖縄民謡なのかなと思いきや、「椰子の実」は沖縄民謡ではありません

なぜ「椰子の実」という楽曲がセレクトされて披露されたのか非常に疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

島崎藤村も大中寅二も沖縄と縁がある人物ではないのです。

しかしながら椰子の実の作詞にあたり、島崎藤村は柳田國男からヒントを得ていたことがわかっています。

この柳田國男が沖縄と関係のある人物なんです。

椰子の実の歌詞は柳田國男のストーリーから着想された

島崎藤村と柳田國男は友人関係にありとても親しかったようです。
椰子の実の歌詞は柳田國男から聞いたとある話から着想して島崎藤村が作詞をしたとされています。

柳田國男が愛知県の南端、渥美半島の最先端である伊良湖岬に滞在していた際に、恋路ヶ浜に椰子の実が流れてきたという話です。島崎藤村はその話が面白いエピソードであると称賛し、椰子の実が流れ漂う旅と自身が故郷を離れてさまよう憂いを重ね合わせて作られた歌詞により「椰子の実」とう歌ができたのです。

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